「倉敷の若旦那」(司馬遼太郎)

不幸な小さい人間に寄り添う作者の姿勢

「倉敷の若旦那」(司馬遼太郎)
(「日本文学100年の名作第6巻」)
 新潮文庫

不正を働いていた
商人・下津井屋に天誅を加えた
立石孫一郎は、
長州藩へと身を寄せ、
第二騎兵隊幹部の役割を
与えられていた。
幕府に対する藩の対応が
曖昧なことに
しびれを切らせた孫一郎は、
倉敷代官所の襲撃を決意し
挙兵する…。

司馬遼太郎の歴史物の短篇であり、
倉敷浅尾騒動を素材としています。
私も本作品を読むまで
そうした事変について
知りませんでした。
1866年、長州藩第二奇兵隊幹部の
立石孫一郎に率いられて、
藩を脱走した約100名が
倉敷代官所を焼払い、
次いで総社浅尾藩陣屋を襲撃した事件が
倉敷浅尾騒動です。

現代の物差しで測ってしまえば、
立石孫一郎の行動は
暴力に訴えて自分の正当性を主張する
テロ行為に過ぎないのですが、
この幕末の時代においては
決してそうとは言い切れません。
何分、道理が
引っ込んでいるのですから。
作者・司馬は、筋道を通すやり方の
通用しない背景を丁寧に描いています。

孫一郎は、
米の密輸出で暴利を貪っていた
下津井屋の不正の証拠を、
丁寧に揃えて代官所へ訴えるのですが、
すでに袖の下を通してあるため、
まったく取り上げてもらえないのです。
力に訴えるしか
正義を貫くことのできない
状況下であることがわかります。

加えて倒幕運動の盛んだった時期です。
この倉敷浅尾騒動の三年前
1863年にも同様の「天誅組の変」が
大和(奈良県)で起き、
さらには1864年には
長州藩勢力による「蛤御門の変」も
京都で起きているのです。
そのような倒幕派対佐幕派の
武力衝突を含む諍いが
各地で起きている上、
下関戦争(1863・1864年)・
薩英戦争(1863年)など、
外国との戦争も起きているのです。
時代背景を考えると、
孫一郎の行動は、当時としては
異例なものではないのです。
では、司馬は孫一郎の
何を描こうとしているのか?

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おそらく「不運」ではないかと考えます。
最後にこんな一節があります。
「天誅組志士たちの場合は、
 維新後その死に対し
 ことごとく贈位をもって
 報いられたが、
 同じく代官所を襲い、
 同じく敗走したこの男の場合は、
 贈位もない。賊名だけが残った」

維新後、倒幕に関わった
薩長の藩士たちの多くが
新政府の要職に就き、
命を散らしたものには
位が贈られている中にあって、
孫一郎は逆賊扱いを解かれることなく
歴史に埋もれていったのです。

時局を読み解き、
計画的計略的に策を練って起こした
行動ではありません。
多角的な視野から最も合理的な方法を
遂行したのでもありません。
人心を掌握した上で
広く意見を聞き入れて
策定した行動基準でもありません。
ただただ愚直に、
自分の信じる正義に沿って
起こした行動なのです。
そこには共感できる要素が
数多く含まれています。

歴史物はあまり得意ではないため、
司馬遼太郎作品は
ほとんど読んでいません。
しかしこの一作からは、
不幸な小さい人間に寄り添う
司馬遼太郎の姿勢が
明確に表れていると考えられます。
小品ながら、一読の価値があります。

〔本書収録作品一覧〕
1964|片腕 川端康成
1964|空の怪物アグイー 大江健三郎
1965|倉敷の若旦那 司馬遼太郎
1966|おさる日記 和田誠
1967|軽石 木山捷平
1967|ベトナム姐ちゃん 野坂昭如
1968|くだんのはは 小松左京
1969|幻の百花双瞳 陳舜臣
1971|お千代 池波正太郎
1971|蟻の自由 古山高麗雄
1972|球の行方 安岡章太郎
1973|鳥たちの河口 野呂邦暢

(2022.4.14)

Yatheesh GowdaによるPixabayからの画像

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